anezakimanの部長日記

メーカー部長、中小企業診断士、通訳案内士(英語)、放送大学大学院修士全科生の日々奮闘記

読書:50歳からの勉強本

50歳からの勉強本を2冊、読みました。

50歳からの「社会人大学院生活のすすめ」

50歳からの「社会人大学院生活のすすめ」

 

50歳代の百貨店勤めのサラリーマンが、一念発起して放送大学にて修士号、博士号を取得、その体験手記です。まさに私の関心ドンピシャではありましたが、内容的はちょっと具体性に欠け、いまいちでした。

もう一冊は、東京都庁で要職を歴任され、現在歴史小説家として活躍されている76歳の童門冬二さんの本です。

50歳からの勉強法

50歳からの勉強法

 

 これが、刺激に富む珠玉のメッセージで溢れていました。「起承転転」の世の中における「終身現役、一生勉強」という主題に基づいて、筆者のサラリーマンと作家の生活からの経験、知恵に基づいた50歳からの生き方、勉強についてのヒントが満載でした。

  • いくつになっても知的な好奇心や探究心を失うことなく、自分の知識や能力や教養をや見識(つまり人間としての総合力)を少しでも高めるべく勉強を怠らないこと。その老いてもなお学びを忘れない姿勢が、流動的で不安定な転々の人生に確たる骨格を与え、その時間を豊潤なものにしてくれる。
  • 五十代というのは、それまでの自分の中に培ってきた鉱脈を新しい可能性として表に取り出すのに最適な時期なのです。五十歳までは知の助走期間で、その本番を迎えるのはそれ以降のことなのです。
  • 転々の時期から始める「学びの心構え」:「学びの姿勢は自由でいい」「教科書は世間にある」「孤独を覚悟せよ」
  • ゆっくりと体得したものしか本当には役立たない。学びとは本来、時間をかけて人間の根や幹をつくる行為であって、手っ取り早くその枝葉を飾る作業ではない。だから五十代からの転々の時期には先を急がず、ゆっくり、じっくり学ぶことが大切。その迂遠が仕込みの時期となって、ぼくらの知を滋養深く発酵させてくれる。
  • 人間は自分だけの三畳間を持つことが必要。他者とのかかわりをいっさい断って、ものを考え、判断する自分だけの場所、孤独の思想を営む場所。そういった空間が物理的にも、精神的にも人間には必要。
  • 時間に追われるな。自分の行動や精神生活を時計ごときに仕切られてたまるか。最速解必ずしも最適解にあらず。ことに「学び」というのは、その成就に時間がかかるものです。学ぶ、育つ、伸びる。こういう動詞はもともと速度や効率には換算できないたぐいの言葉。
  • 理論と実践、知識と行動、不易と流行、ゼネラリストとスペシャリストなど、両極の概念のどちらかに偏るのではなく、いずれの視点や思考法も併せもつこと。
  • 時間とは意思の産物で、つくり出そうと努めれば必ず捻出できるもの。
  • 「時限蒸発」、「行方不明」。いっとき自分で自分を神隠しに合わせる。時限蒸発という充電期間を日常の中に確保することは、ストレスの解消や心身の再活性化のみならず、学びや勉強のための時間活用法としても、とても大事な意味をもっている。
  • 組織における個人の理想的なありよう:「なら」人間を目指せ。「握り飯」たれ。
  • 人が人を動かす動機の最大のものは「人間力」。したがって、相手に「この人のためなら」と思わせる何がしかの要素がこちらにないと人を動かすことができない。人を動かせなければ、当然、人の集合体である組織も動かせない。
  • 組織に寄りかからなくともひとり立ちできる能力をもちながら、わがまま勝手にはふるまわない。あくまでも組織の一員として組織が決めた秩序やルールを順守して、全体の目的達成に尽力、貢献する。そのように主体性と協調性を二本立てできる人間が握り飯型組織人。
  • 「自分を高く評価して、謙虚に生きたまえ」。自分を高く評価するとは、自己を大切にして個の矜持を失うなということ。謙虚に生きろとは、我を抑えてさら向上する気持ちを忘れるなということ。
  • 後悔すまいと努めながらいつも後悔し、そのつどまた戒める。この半永久的な反復に、ぼくは人が生きてあることの本質があり、快味もあると思うのです。
  • 五十歳というのは、人生の貸借対照表の清算を行う時期でもあります。それまでの生を一度ご破算にしてゼロベースに立ち、余計なものは体から脱ぎ捨てて裸になる時期です。したがってそこでは足し算よりも引き算のほうが大切になってくる。五十歳からの勉強法では、つけ加えるよりもそぎ落とすほうに重点を置くべき。
  • 歴史を学んでひとつ感じるのは、「人は多くは死ぬべきときに死んでいく」という事実です。大まかな言い方ですが、信長えも、龍馬にしても、西郷にしても、太宰にしても、年齢は関係なく、みんな死にどきを得て死んでいる感じがする。
  • 「たとえ世界の終末が明日であろうとも、私は今日、リンゴの木を植える」。静かだけれども揺らぐことのない堅固な覚悟を腸に宿すこと。それが起承転転の時期に学ぶぼくたちが目指すべき最終目的である。