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anezakimanの部長日記

メーカー部長、中小企業診断士、通訳案内士(英語)、放送大学大学院修士全科生の日々奮闘記

読書:経営センスの論理(後半)

昨日に続き、大いに共感を覚えて赤線を引いた部分を拾います。

「日本の論理」

  • 問題解決の自転車操業、これが人の世の宿命だ。国が抱える問題を「複雑性」と「不確実性」で分けて考えれば、日本の場合、問題の複雑性は高いが、将来どのような状況になっていくのか、予想がつく問題が多い。不確実性はそう高くない。複雑性と不確実性、どちらも厄介であるが、複雑性のほうがまだまし。不確実性は何が起こるかわからないから怖い。原発事故があれほどシリアスな問題になったのは、それが複雑性のみならず極めて高い不確実性を多く含んでいた(いる)からだろう。
  • 大切なのは政治がきちんとメッセージを発することだ。しかもそのメッセージは骨太の「ストーリー」になっていなければならない。トップに立つものが未来に向けたストーリーを語るべきだということは、企業でも同じだ。問題の本質を直視して腰を据えて戦略ストーリーをつくる。それをステイクホルダー(従業員や顧客、投資家)にいやというほど繰り返し発信する。それが経営者の仕事のはずだ。
  • 日本はビジネスにとって逆境先進国だ。これまでの日本の歴史をみれば、逆境に耐え、克服する力は十分にあるはずだ。もっといえば、これまでも逆境に立ち向かうことで、日本の能力は錬成されてきた。「逆境なら任せておけ!」(経営学者、藤本隆宏さんの名フレーズ)、ここに日本の本領がある。
  • 「金融」と「事業」の間には大きな違いがある。金融、とりわけ投資活動は「こうなるだろう」という世界だ。生き馬の目を抜くように機会をとらえ、未来を予測する。しかも、売却を前提としない投資はない。投資という仕事には終わりがある。一方の事業経営は「こうしよう」という意思にかかっている。未来は予測するものではなく、自ら創るものだ。そして、経営に終わりはない。
  • ポートフォリオ経営の本質は過去を忘れる力。過去をなかったことにして、事態が変わればスパッと気持ちを入れ替えて、あたらしくポートフォリオを組みなおすという変わり身の早さが求められる。日本の会社ではそうはいかない。「これからどこに行くのか」だけでなく、「これまで何をしてきたのか」を重視する。事業は、剣道や柔道と同じ「道」なのである。過去から未来まで綿綿とつながっていて、それが事業のドライバーになっている。日本と欧米、どちらが良いか悪いかではなく、そういう違いが傾向としてあるということだ。
  • 日本は「中小企業の国」。横に幅広いポートフォリオを抱えシステマチックに事業評価をしてポートフォリオを最適化するのは苦手。しかし、これだと決めた領域に長期的にコミットし、商売をどんどん深堀りしていくのが得意。その商売をしていること自体が従業員のアイデンティティになり、求心力にもなる。これは中小企業の経営スタイルそのものだ。無理してGE、サムソンのような「ビッグ・ビジネス」を目指さないほうがいい。実際の事業の大小にかかわらず、専業をテコに競争力を高めている中小企業的な経営のほうが日本企業は力を発揮できるのではないだろうか。

「よい会社の論理」

  • 戦略は「こうなるだろう」という未来予測ではない。「こうしよう」という未来への意思が戦略だ。だとしたら「人間はイメージできないことは絶対に実行できない」という真実が重みをもってくる。人間は誰しも考えられないことは決して実行に移せない。未来への意思を会社で働く人々にヴィヴィッドにイメージさせる。そうした未来への動的イメージが働く人々のアタマの中に入っていなければ、会社は動かない。逆にいえば、「こうしよう」というイメージがしっかりと共有されていれば、根拠をもって仕事ができる。毎日の仕事がタフであっても、明るく疲れることができる。
  • 「数字」にはあまり期待できない。目標や予算や達成を数字で見える化する。これはもちろん大切なことだが、数字を掲げるだけでは「こうしよう」という意思が組織で共有されない。数字を掲げて走らすだけだと、疲れが暗くなる。だから戦略ストーリーが必要になる。数字より「筋」。
  • 経営者が骨太の戦略ストーリーを構想し、それを会社全体で共有することは、「働きがい」の最強のドライバーになり得る。「働きがいのある会社」と「戦略が優れた会社」が自然と重なってくるという成り行き。

「思考の論理」

  • 抽象的な思考がなければ具体についての深い理解や具体的なアクションは生まれない。抽象と具象との往復運動を繰り返す、このような思考様式がもっとも「実践的」で「役に立つ」。抽象化なり論理化の力がないと、思考が具体ベタベタ、バラバラになり、目線が低く、視界が狭くなり、すぐに行き詰まってしまう。具体の地平の上をひたすら横滑りしているだけの人からは、結局のところ具体的なアクションについても平凡な発送しか生まれない。そもそも「人と違ったことをする」というのが戦略なのだから、そうした人には戦略は構想できない。抽象度の高いレベルでことの本質を考え、それを具体のレベルに降ろしたときにとるべきアクションが見えてくる。具体的な現象や結果だどんな意味を持つのかをいつも意識的に抽象レベルに引き上げて考える。具体と抽象の往復を、触れ幅を大きく、頻繁に行う。これが「アタマが良い」ということ。
  • 「情報の豊かさは注意の貧困をもたらす」(ハーバート・サイモン)。洪水のような情報量の増大が果てしなく起きているということは、注意の貧困もまた果てしなく広がっているということ。情報と注意のトレードオフを考えると、情報は仕事の友であるどころか、わりと悪質な敵。仕事の質を低下させないためには、強い意志を持って注意のフィルターを強化するか、情報を意識的に遮断するしかない。
  • あらゆる仕事はアウトプットを向いていなければならない。本当に自分が達成したいと思っているアプトプットがあり、それが注意のフィルターとなっていれば、あらためて膨大な情報を精査しなくとも、本当に大切なことはだいたいわかっているものだ。すでにカギとなる情報は頭の中にインプットされているわけだから、すぐにアウトプットの生産ラインを動かすべきである。
  • 人間が何かに継続的に取り組めるとしたら、その理由は2つしかない。「意味がある」ことと「面白い」、このどちらか(もしくは両方)。勉強の面白さは、ひとえに知識の質に関係している。上質な知識とは何か。それは「論理」である。論理は面白い。論理の面白さを分かるようになれば、勉強は苦にならない。それどころか、自然とどんどん勉強が進む。習慣になる。単純に面白いからだ。論理の面白さとは、ようするに「ハッとする」ということ。
  • 主体的・自主的に勉強を続けるためには、とにもかくにも論理(化)の面白さを経験で知ること。見たり聞いたり読んだりするときに、いつもその背後にある論理を少しだけでも考えてみる。そのうちに論理の面白さを感じるようになる。いくつかのパターンがあることが見えてくる。すると、自分が面白がるツボも自覚できる。
  • ものごとを「面白がる力」、これこそが人間の知的能力なり仕事能力のど真ん中にある。面白がれるようになってしまえば、だいたいのことはうまくいく。この真理は勉強に限らないが、勉強にもっともよくあてはまるとおもう。まずは自分自身の面白さを論理化する。面白がる力をつけるための、よいトレーニングになる。